お久しぶりです。野崎さんの骨格のオタクです。
MVやらめせらいやら一気に動画が投稿されて感情が迷子になってます。
さて、今回は庭の樹MVの考察をしていきたいと思います。
考察を書き終わってからこの序文を書いているのですが、いやもうしんどい。
しんどいんだけれども、そのしんどさをこちらに感じさせるMeseMoa.の表現力がすごい。(急な語彙力の低下)
まあこの辺にしまして考察をはじめていきますね。
※当社比をしなくてもしんどい内容になっておりますので公共の場では読まないことをおすすめします
初めて庭の樹のMVをみた時に、とてももやっとしたんです。なんかちがうような…と。
でも三回目あたりでしょうか、ふと気づいたことがあって。
もしかするとそもそもの自分の曲の解釈の仕方が間違ってたんじゃないかなって。
それで改めて見直したら違和感は綺麗に消えて、腑に落ちることばかりで。
今から書くことは一介のオタクの考えであり、正解ということではありません。
ただ、ああ、こんな捉え方もあったんだと思ってもらえればそれでブログを書いた価値があったというものです。
あなたは疑問に思いませんでしたか?
自然の森の中にある白い家と、突然現れる都会のショットの対比を。
そして結婚指輪というにはあまりにもチープな、まるで子供が少ないお小遣いを集めて買ったような指輪を。
そしてもうひとつ。今までのMeseMoa.のMVはメンバーたちが主役であったのに今回は少年少女と年老いた男性女性が出てきていること。
去年の全ツファイナルで初めて庭の樹を聞いた時からずっと、この曲はともに人生を歩んできた伴侶に先立たれてしまった人の歌なんだと思っていました。
MCでぷんちゃんが言っていましたね、自分の考察を伝えたらhalyosy先生が泣いてしまったと。はっきり言ってしまえばありきたりなテーマなのに泣くほどのことか…?と私はそこで思ってしまったんですね。
その疑問は、先入観をとっぱらってしまえば綺麗になくなりました。きっとhalyosy先生は歌だけ聞けばおそらく多くの人が思うであろう、最初の私のような感想を予想していたんでしょうね。それとはちがうぷんちゃんの考察を聞いて思わず泣いてしまったんではないのかなあと。まあこれは妄想でしかないのですが。
本題に戻ります。
疑問①
突然現れる都会のショットは一体なんなのか。
疑問②
夫婦の結婚指輪にしてはあまりにも安っぽいのではないか。
そもそも夫婦ではない、というのが私の考えです。
幼い頃結婚の約束をして、その時に買える精一杯の金額のおままごとで使うような指輪を交換して。
時代的なことかもしれないし別に婚約者がいたのかもしれない。些細なことで喧嘩別れをしたのかも。
そして結ばれることはないまま男性は地方に、女性は都会に。
でもお互い心の底では相手を愛していて、年老いた今でも大切に想っていて。だから指に嵌っているのはきちんとした、社会人の給料数か月分もするような正式な指輪ではなく、雑貨屋とかで買えるようなチープな指輪。
MVをみると分かりますけど、少年少女が別れたあと成人の頃一緒にいる描写はなく、年老いてから二人は一緒にいますよね。でも一緒にいるシーンも後ろ姿で手をつないでいるところだけで、はっきりと横に並んでいるとわかるシーンはないんですよ。
夫婦なら笑顔で並んでいる場面があってもいいと思うんです。寄り添って仲睦まじく。
幼い頃二人で植えた庭の樹を眺める男性、窓を開けて風を感じている女性。
隣には誰もいない。
二人で重ねた月日と
同じ分だけ一人で生きた
例えば「二人」が夫婦だったとして20代で結婚。70~80歳くらいで死別、
そうすると50年くらいですね、ふたりで重ねた月日は。
同じ分だけ~となると100年になっちゃうんで無理ですよね、現実的には。
ですので、この「二人」というのは自分たちのことではなくて相手の女性とその夫のことではないかと思うんです。そして男性は独身を貫いた、と。
最後に託された言葉
守れるほど強くはなれない
「託された」というのが引っかかる言葉ですね。女性が男性に直接言ったとしたらそういう表現にはならないと思うんですよ。
私は先に逝くけれど、あなたはまだ生きていてほしい。
若しくは、もう待たなくていい。
そういうようなニュアンスで女性の夫か若しくは子供あたりから伝えられたら“託された”という表現になるのではないかなと。
欠かさず手入れして並べても
輝きはしないお揃いの指輪
「並べても」とありますがMVだと男性も女性も指輪を嵌めています。
嵌めているのはあくまでも男性のイメージであって、実際には女性はもういなくて遺っているのは昔のその指輪だけで。
輝かないのは当然ですよね。そもそも夫婦ではないし、その女性ももういない。
街の店先 人混み 待合所 交差点
探してしまう
君と似た髪 残り香 服の色 話し声
目で追ってしまう
「街」と「町」の表記の違いってご存知ですか。
「街」は大きい都会や人が多い所を表します。「町」はそれよりも小規模な所を表します。
男性が住んでいる白い家があるのは、町。女性が住んでいるのは都会なので、街。
男性が何かの用事で都会に出たときに、その街中で、女性の面影をどうしても探してしまうのでしょう。
いつからだろう庭の樹に
一つしか実らなくなったのは
きっと最初は実はふたつ実っていたのでしょう。でも女性が亡くなってからは実は減って男性の分だけになってしまった。そうなった時期が分からないのは知らせを受け取っていないのか、はたまた現実を見たくなくて忘れてしまったのか…
お互い年老いたようだ
最後まで寄り添ってくれるかい
ここで寄り添ってくれるかいと問いかけている相手は、庭の樹。ここの歌詞だけなんだか相棒に話しかけているような雰囲気がしませんか?
樹の成長と共に男性も齢を重ねていった…。
それと私の中での決定打が以下に。
I’ll be waiting for your love 何度
奇跡を待ったのでしょう
英語に触れなくなってウン年なので間違ってたら申し訳ないのですが(一応Google先生にも聞きました)、
「will be ~ing」は未来進行形。現時点で確定している未来の予測。でもはっきりと時期が決まっているわけではない。
そして、「待ったのでしょう」。ここで過去形。
I’ll be waiting for your love (あなたの愛を待っているつもりだ)
何度 奇跡を待ったのでしょう
普通であれば英語の未来進行形に合わせて日本語の方も合わせると思うんですね。例えば、「何度でも奇跡を待つ」とかそんな感じで。
ここであえて英語は未来進行形にして、日本語は過去形にした意味…
きっと男性の余命が幾ばくも無いことを表しているのではないかと。
何度も奇跡を待った。あなたが自分を選んでくれることを。
でももう寿命が来てしまう。
今の生は終わるけれど、今度こそ来世では夫婦になろう。
私の考察をいれるとここの歌詞の意味はこんな感じになります。
…淡々と打ってるように見えるかもしれませんけど、いやもう、めっちゃしんどい!!!!!
すいません心の叫びが漏れました。最後まで頑張ります。
私もね、途中までは女性は生きているもんだと思ってたんです。でもMVの最後で女性の手がすうっと消えていきますよね。そしてその後、男性の腕が脱力する。
だから白い家にいる年老いた女性は実際には存在していなくて、いよいよ死を迎える男性を迎えにきた女性の霊なんじゃないかなって。
一緒に生きることは叶わなかったから、最後の最後くらいは添い遂げに来たのかなと。
最後です。
疑問③
今回のMVでMeseMoa.のメンバー達はどういう役なのか?
安牌は樹の精霊、天使というところだと思います。でもそれじゃあつまらないので、第三の説を提唱します。
もういいかい?
───まだだよ。
何回かこのフレーズが出てきますよね。
私はこの言葉たちが男性の今までの葛藤や諦念、期待にもとれるなあと感じたんです。
ただひとりの人をひたすら待つのって、しんどさもあるよなあと思うんですよ。
もう来ないんじゃないか?もう忘れてしまったのではないか?でもいつかは来るかもしれない…
そんな感情たちが具現化して、MeseMoa.のメンバーになっている。
九人九色、様々な想い。
これが私の考えです。まあファンタジー脳が生んだ、妄想にかぎりなく近い考察なんですけどね。でもこんな捉え方をしてみればMVをまた違った観点からみれるかも?
考察は終わります。
では最後のご挨拶をば。
今回の考察はなかなかしんどいものになってしまったのですが…
ハピエン至上主義の方には申し訳なかったです。
でもね、物事を色んな側面から見てみることって、楽しくてそして大事なことであると私は思います。
MVを観て、私はこんな風に思ったよ!って方はぜひ私に教えてください。
それでは長々とお付き合いいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう。